気軽に更新するつもりで始めた雑記ブログだったが、このような媒体に文字情報を落とし込むという作業は案外億劫なものだということに気がついてしまった

それでこの更新頻度なわけなんだがひどいものだ

とはいえ記録はしたい 記憶は頼りにならんからな

 

記録と記憶といえば、このまえ人と遊んだときめちゃくちゃに写真を撮ったり撮られたりだったのだけど、形として残る思い出の尊さときたら計り知れない

写真がなければあの日の思い出にどれほどの現実味が残ったか知れない

この雑記ブログもそういった、放っておけば消えゆく感情を写真のように切り取って置いておくためだったんだが面倒くささが先に立ってしまう

恥ずかしさもあるしな!

でも続けていこうとは思う 楽しく思ってもいますので!

 

 

 

GREE版ミリオンライブのコンテンツ更新終了に寄せて

GREE版ミリオンライブのコンテンツ更新終了の報せがあった。

この報せを受けて様々な感情が湧きあがったので、ここに記しておこうと思う。

 

おれの周囲にいる人たちの一部には薄々気付いているひともいたかもしれないが、実をいうとおれはここ半年ほどミリオンライブというコンテンツに対して積極的に関わっていこうという気持ちがほとんど失われていた。

おれは周囲の人たちと比べるとかなりライトなユーザーだった。個人があるコンテンツに対してもっている熱量の多寡に優劣なんてものはないということは理解しているが、どうしても自分がミリオンライブに向けている情熱は周囲と比べて明らかに劣っていると感じてしまい、かなり引いた位置から俯瞰する形にとどまってしまっていた。自分はミリオンライブのことを好きだと心から思えなくなっていたからである。

だが今回、件の報せを受けて想像以上に悲しくなった。自分にとってはあの世界こそがミリオンライブで、それがなくなってしまうというのは紛れもなく一つの終わりだった。そうして初めて自分はちゃんとミリオンライブのことを好きだったんだなと、心から思えた。だって同人誌作ってイベントに出たりしてたんだぜ!?好きじゃないわけがないのに。

思い返してみればおれがミリオンライブのアイドルたち、とりわけ高山紗代子というキャラクターに惹かれたのは、彼女は劣等感を持ちながらもトップアイドルになるという意志をもって努力し続ける強い芯をもっていたというところだった。それは自分にはないもので、だからこそ憧れたんだと思う。

おれは自身の好きという気持ちにすら劣等感を抱き、距離をとることでごまかそうとしてしまっていた。好きという気持ちに優劣なんてない。その言葉を胸に、また自分のペースで楽しんでいこうと思う。まだすべてが終わったわけではないですからね。

 

恣意

もう一ヶ月も前のことだが、おれは前回の「調和」というタイトルの雑記のなかで現代日本の混沌とした街並みには美意識が欠けているのではないかといったことを書いた

しかし、結果として新たにあらわれた美というものはあると思っている

極端な例ですけれど、廃墟に美を見いだすのと似たようなものですね

 

日本の都市計画には景観を守ろうという意識がヨーロッパ諸国に比べるとほとんど見受けられない

その理由の一つに、統一感がほとんどないという点が挙げられる(ニュータウンと呼ばれる住宅群には統一感と呼べるものが確認できるが、その統一感は内部のみに留まっており、外部との境界線の混沌はより強くあらわれている)

だが、結果として生まれたその「ずれ」に日本の美意識が生きていると思っている

たとえば日本の茶室には意図的な「ずれ」が多く見られる

詳細は省いてしまうが、この「ずれ」は自然の動きに人間の方が合わせていくという思想が元にあるようだ

自然界では無秩序こそが秩序であり、そこに慣らすかのように建てられた建築には日本特有の思想や美意識が生きている

そこで、現代日本において無秩序に建てられている建築群にも同じ思想や美意識が結果として残っているのではないかと考えたのである

 

とここまで勢いで書いてきましたが、思いつきで文章を書き始めたのでこれ以上の分析は新たな知識を要しそうです

なので突然ですがここでとりあえずおわりにします

あくまで雑記ですからね

 

 

 

調和

爽やかな緑を見ると、それだけで愛おしく思ったりする

ふだん植物などの自然的なものに触れる機会があまりにも少ないからだろうか

周囲に山も川もない鉄筋コンクリートの住宅街に住んでいると、かつて自然との調和を重要視した日本人特有の感性というものが自分の中に生きているのか疑問に思う

 

そういえば西洋の建築物の多くは石で出来ている

それは基本的に不変で、直線的で、対称的だったりする

それに対して自然は常に移ろい、曲線的で、非対称的である

自然とは相反するものを表現することで、人間の生活を自然とは独立したものにしようという考えがあるのかもしれない

このあたりが本来の日本人が持っていた美意識とは違っているようになんとなく思っている

 

近代以降の日本はそんな欧州文化の影響を受けて今の形に至るわけだが、街並み一つにしても異常に混沌としている

合理性ばかりを重要視するあまり、美意識が欠落しているような印象だ

そこに調和という思想はないように思う

 

「和を以て貴しとなす」という言葉があるが、現代日本でこの教えがどれほど浸透しているのか

そして自分のなかにどれほど生きているのか

どうしても疑問に思ってしまう

 

 

 

 

 

 

意識

ときどき料理をすることがある

親の帰りが遅い日なんかは自分で夕食を用意する必要があるためだ

昨日はちょうどそんな日だった

冷蔵庫にあった大蒜とベーコン、しめじを炒め、それを茹でたスパゲッティと合わせただけの簡単なものだったが

 

ときどきしか料理をしないものだから、その時はじめて気づくことが多々ある

オリーブオイルが切れていること、醤油がもう残り少ないこと、塩胡椒が以前使っていたものより少し粗めのものになっていること

それがきっかけで、人と人が把握している世界の違いについて考えたりした

こういう思考の飛躍は日常茶飯事だったりする

そのとき何を考えていたのかは、もうおぼろげにしか覚えていない

それを忘れないように記録しようというのがこのブログの趣旨だった筈なのだけれど

 

たぶん杞憂

これから定期的に日々の生活で感じたことや考えたことを記録していこうと思い、ブログを始めることにした

つまり日記みたいなものですね

気の赴くままに、適当に適当なことを綴っていこうと思う

 

感情を文字情報として出力できる場としてはブログの他にTwitterというものもあるが、あちらでは基本的に長い文章を投稿できないということや、自分の発言がフォロワーの興味の有無に関わらずそれぞれのTLに流れてしまうという点に問題がある

短い言葉は誤解を生みやすいし、もし自分の発言が誰かの気分を害したらと思うと気軽にツイートするのはむずかしい

 

そんなわけで、このブログではそういった事情で飲み込まれる感情なんかも纏めていきたい

考えすぎだと思ってはいるんですけれどね